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自己紹介とデザインの戦闘力について

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いつも、ブログを拝見頂き誠にありがとうございます。
京都の店舗設計施工からブランディングデザインを一貫して手掛けている、50/50です。

現在、インテリアデザイナーとして活動している私の自己紹介と、何故この業界を目指す事になったのか?業界の特徴や得意な事を書いていきたいと思います。

目次

私の生い立ち

現在は、京都にて事務所を構えておりますが、27歳までは横浜にいました。

父は造船のエンジニア。母は元銀行員。
兄弟3人で私が長男、下に2人、弟、妹の5人家族です。

中学、高校はファッションが好きで、古着から始まり、アメカジ、裏原宿のストリートブランドが当時は流行っていたのでよく街ブラしていました。

高校時代のアルバイトはマクドナルド。
ハンバーガーやナゲット、ポテトを作ることがメインの仕事で、ひたすらハンバーガーを作ったり、肉(パティ)を焼いたり、パン(バンズ)を焼いたりする毎日でしたが、それはそれで充実していました。

ただ、作りすぎて夢に出てきた事もあった位です…。(笑)

今思うと、超マニュアル化されたオペレーションで効率良く販売が出来ているお店を体感していたな…と、当時を振り返り貴重な体験ができたことはありがたいです。

大学時代のアルバイトはCAFEのホール、キッチン、バーテンと和食居酒屋のホール、キッチンを掛け持ちしていました。

この時の経験は、実際に自分がデザインする立場になったときに、飲食店はどのような導線作りをすると楽なのか?施主さんがどのようなオペレーションをしたいのか?を常に考えて、頭の中で想像しデザインすることを心がけていました。

こういった過去のアルバイト経験から、今は厨房図を見ると実際自分が働いたり動いたりするにはどうすれば楽に動ける動線か?効率的なデザインとオペレーションを生み出すことができるようになりましたし、そうした所まで想像しプランニング出来る様になっています。

インテリアへ興味を持つ

大学は建築学科に進んで就職を考え始めた時に、自分は建築ではなくてインテリアに興味があることに気付き始めました。

よく代官山から渋谷を抜けて原宿まで歩いてshopめぐりしていて、当時裏原宿のB1FにあったA BATHING APEなんかが特に好きで、スターウォーズみたいな未来感のある空間。洋服が絵画を見る様に展示されている什器。

何か男心をもの凄くくすぶられた空間だったのを覚えています。

A BATHING APE裏原宿店舗内装
A BATHING APE裏原宿店舗内装

Instagram
https://www.instagram.com/bapestore_japan/

今でも思い出すと、お店づくりの仕掛けがすごくてワクワク感…半端なかったですね。

お客様を惹きつける空間って、私が感じた様な言葉ではうまく現わせないけど、なぜかワクワクする!その場にいることで、はじめて感じることができる唯一無二の空間だと思っています。

こうした自身の体験から、自分がデザインする時も何か一つでも記憶に残せる様なデザインや空間づくりにチャレンジしております。

出会い

お店をデザインしているのが誰かを調べたところ、WONDER WALLという会社の片山正道さんっていう事が分かって、そこからインテリアデザインの仕事をして、インテリアデザイナーになろうと決心しました。

wonderwall
公式サイトより引用

WONDER WALL公式サイト
https://wonder-wall.com/

大学を卒業後は、東京の店舗設計事務所に5年在籍しました。
設計から設計監理までの事務所です。

社会での経験が全くなかった私が、言葉使いや、仕事の仕方、MAC、CGパースの作り方などを一から学ばせて頂き、感謝しかありません。

とは言いつつも、当時は朝から終電まで働いて、たまに徹夜みたいな事はよくありました!(笑)パソコンが急にフリーズして1時間とか2時間位作業したのが消えて時間を失うとかもありましたね(笑)

当時、時代的にも『人の背中を見て盗め!』の時だったので、何から始めればいいか分からず焦ってばかりいましたし、デザインを考えているだけで1日が終わる様な日もよくありました。

・当時の作品

文具店の3DCG
婦人服店の3DCG
婦人服店の3DCG

5年在籍した後、海外に住んでみたい思いがあり、タイのバンコクへ移住しました。

タイでは、現地採用から日本人駐在員向けの店舗設計の会社に勤め、現地の施工会社と協力し、設計監理までを行っていました。

海外での生活は、コミュニケーション能力を格段に向上させてくれました。
日本とは違い、タイの人達はとても社交的です。中でも印象的だったのが、『マイペンライ(大丈夫)』という言葉。
悪いことが起こっても、『大丈夫、大丈夫』と引きずらずにサラッと片づけ人が多かったです。

あとは、思ったことをすぐ言葉にだす。
日本人は、引っ込み思案というか、謙虚な性格な人が多いのであまり思っていることを言葉に出さないのですが、タイの人は、すぐに言葉に出します(笑)

自分が気にしていることをズバッと言われることもありましたが、良いところもすぐに言葉にして褒めてくれるので、必然的にコミュニケーションをとる回数が多くなりました。

・当時の作品

和食店のイメージパース
和食店のイメージパース7

生活面では、タイ人の奥さんと運命的に出会い、収入面から不安を覚え帰国後、縁があり関西にきました。
※タイの物価は、日本の3分の1ぐらいです。

タイ国民の平均年収は日本円に換算すると約140万円程度なので、生活するにはちょっと厳しかったですね。

その後、5年の中で関西の店舗設計施工会社2社を経験し、2018年からフリーランスとして京都を拠点に活動し始めて、今に至ります。

だいたい経験値でいうと…。
ドラゴンボールに例えるなら地球に初めてきたベジータと戦える位かな?と思っております(笑)